こんにちは。
川﨑文也です。
今日は、日常での出来事についてです。
僕のトレーニングへの考え方やセッションに対してのスタンスなど、ハッと気づいたことがあったので書き留めておきたいと思います。
ある方と何気なくかわした会話でのことです。
その方は、クラシック音楽にとても詳しい方で、素人の僕にも分かりやすく教えてくれます。
今まで触れたことのない世界を知れるので、いつも楽しく話を聞かせてもらっています。
僕と、Aさん(ここではそう呼ぶことにします)との会話
「生で演奏を聴くときなんですけど、オリジナルを事前に聞いていった方が、その場の演奏を楽しめますか?」
「アレンジの違いや、その演奏者の特徴などもあるので、曲を知っていれば知っている楽しみ方ができますね。
でも、私は最近、知らない曲も聞いていますよ。」
「え!?それはどうしてですか?」
「偶然、知らない曲を聴く機会が多いということも理由の一つですが…。
曲を知っていると、音を追ってしまうんです。」
「???」
「例えば、知っている曲だと、次にどの楽器のどのような音がでてくるのか分かるんですよね。
それだと、無意識にその音を優先的に聴きとるようになってしまうんです。」
「あとは、テレビで演奏を見るときもそうですね。
カメラアングルの切り替えで、そのつど、一つの楽器がクローズアップされますが、やっぱりアップで映ると、その楽器の音が無意識に強調されて聞こえてきます。
無意識にでも意識してしまうと、その楽器の音を追ってしまうんですよ。」
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そういえば、以前…
「音を追う」という表現がイメージできていなかった僕ですが、ここまで話を聞いて、ピンと思い出す出来事がありました。
以前、ジブリ作品や映画音楽で有名な、久石譲さんのコンサートに行った時のことです。
僕は、このコンサートが人生初の生オーケストラでした。
音楽には疎く、良いも悪いも分からないようなド素人ですが、「生で演奏を聴く」という感覚に興味がありました。
大きなホールの中で演奏を聴きながら僕はこんなことを考えていました。
「実際に演奏を見ていると、演奏者の手や体の動きで、どの楽器から音が聴こえてきているのか分かりやすい。」
「音源だけだと、どの楽器の音なのか聞き分けできないけど、視覚からの情報も合わさると音が分かって楽しいな。」
「これが生で聴く良さのひとつなのかも。」
と、新たな発見にひとりで喜んでいました。
そんな記憶を思い出した時に、ピンときたんです。
見えるからこそ、知っているからこと、音が分かりやすい。
音が分かりやすいから、自然と聴き取ってしまう。
つまり、「音を追う」とは、このことなのか~!と。
音を追わない選択
僕は、そんなことを思い出しながら、しゃべっていました。
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「見て、音を感じるのも、生演奏の良い所だと思ってました。
そしたら、『音を追う』という事は、あまり良くないことなんですか?」
「いいえ、悪いことではなく、『追う』ことも良い事ですよ。
『追って』分かることもありますから。
でも、『追って』聴いてしまう音は、
きっとそれは本来の音ではない気がするんです。」
「!!!!!!」
(なんてカッコいいセリフなんだ!!!)
おそらく『本来の音』とは
なんとなく分かったような気になってしまい、言葉の余韻に浸ってしまいました。
なので、その言葉の意図を詳しくお聞きすることが出来なかったのですが、僕なりの解釈でここからの話を進めていきます。
おそらく「本来の音」とは、
指揮者や演奏者全員が意図して作り上げている調和のとれた音のことだと思います。
ホールによって音の反響も違うようなので、その違いも考慮して全体の音を作り上げているのでしょう。
その作り上げている全体の音から、1つの音だけを追ってしまうと、それは全体の調和が崩れた音になってしまいます。
つまり、『それは本来の音ではなくなる』と、いうことです。
ただ、同じ演奏をしていても、聴き手しだいで音の聴こえ方が変わってくるという事になります。
100人いれば、100人の聴こえ方があるということですよね。
あとは、座席の位置や空気の乾燥具合でも音の伝わり方は変わるのでしょうか…?
なんとも奥の深い世界ですね。
簡単にまとめると、
[aside type=”boader”]
「本来の音」 = 「全体の調和のとれた音」
「本来の音ではない」 = 「1つが強調されてしまった音」
[/aside]
こんな感じでしょうか。
体の調和について考える
僕もカッコいい表現をつかいたいので、早速マネします。
僕の専門分野にあてはめると、やはり、体の動きでしょうか。
[aside type=”boader”]
「本来の動き」 = 「全体の調和のとれた動き」
「本来の動きではない」 = 「1つが強調されてしまった動き」
[/aside]
こんな感じに置き換えられそうですね。
「本来の動き」は、頭の先から足の先まで、全身がバランスよく働く動きです。
「本来の動きではない」は、1つの体の部分が強調して働いて、その部分に負担がかかり過ぎている動きです。
僕が出来ることは、人の体を『本来の動き』に導いていくことです。
その為に、「そんなことまで意識するの?」と、いうぐらい細かく修正をかけていきます。
- 肋骨や背骨など、小さな関節も動かすようなイメージをもってもらう
- ミリ単位で重心や、体の位置を調整して姿勢を保ってもらう
そんなことを意識してもらいながらトレーニングを行っています。
でもですよ。もしもですよ。
『音』のように、一つを意識してしまうことによって、全体のバランスが崩れてしまったら…
それは『本来のもの』ではなくなってしまうという事になります。
で、ハッと気づいたのですが、
いままで僕がやっていた、細かな修正は『本来の動き』をかえって邪魔しているのではないか?
と、いう仮説が出てきました。
でも、何も考えず適当に体を動かしても、体にいい影響を与えられないし…。
かといって、意識しすぎるのも邪魔をしているのかもしれないし…。
なんとも悩ましい限りです。
ですので、今までより僕が細かな修正をしなくなった時は、
「あ、本来の動きを探して悩んでいるんだな。」
と、温かく見守っていただければと思います。(笑)
おそらく、100人いれば100人の動きのクセがあるはずです。
人の体というのは、なんとも奥の深い分野だなと感じています。
まだまだ修行不足です。