限界ぎりぎりに追い込まれて気づいた、大切なこと。

こんにちは。

川﨑文也です

 

「・・・最悪ペットボトルかな。」

「・・・250mlでいけるかな。」

車の中で僕はそんなことを考えていました。

 

僕の住んでいる福山市は海に面している街です。瀬戸内の海は穏やかで、小さな島々があり、とてもきれいな景色が広がります

いつもは運転なんかほとんどしないのですが、今日は休みなのでドライブを兼ねて海沿いの地域までやってきました。

日が暮れだした帰り道。海沿いにあるカフェ(というよりも喫茶店)でコーヒーを飲みながらちょっと休憩です。ちょうど夕日の時間帯と重なり、海がオレンジ色に輝いています。ちょっと優雅な気分に浸りながら、再び車に乗り出発しました。

しかし、それから10分ほど走ったころで、渋滞に巻き込まれてしまいました。その時僕が通っていた道は、山の中を抜ける道で2車線の道路です。どうやら先日の大雨で土砂崩れがおこり、片側通行になっているようです。その影響で渋滞がおきていました。

思った以上に渋滞がひどく、少し進んでは止まる。少し進んではまた止まる。これを1時間ほど繰り返しています。

目次

限界がきました

僕の我慢も、もう限界です。はっきり言って限界です。もうぎりぎりです。

トイレに行きたいく仕方ありません。

山の中の道です。コンビニがありません。お店がありません。一本道なので、どこかに止めてこっそり物陰で。ということもできません。僕にできることは、ただただ耐えるのみ。

「最悪、ペットボトルにしようかな。」と、弱気になってしまったり。

「このパンク寸前の状態を250ml容器で受けとめきれるのだろうか?」と、不安になったり。

心が揺れ動く中、後悔の念が強く出てきました。「あの時トイレに行っておけばよかった・・・」

前兆はあったんです。コーヒーを飲んで休憩していた時。渋滞につかまる前の10分間。ここまではいくらでもチャンスはありました。ただ、僕が「まあ、今でなくてもいいか。」と先送りにしていたのです。どこにでもチャンスがあり、自分の好きなタイミングでそのチャンスを利用できると思い込んでしまっていたのです。

チャンスの神様はどこから?

尿意により、限界ぎりぎりに追い込まれた僕は気づきました。

「チャンスは自分に都合のいいタイミングではやってこない。」と。

あたりまえといえば、あたりまえのことです。周りの環境や、周りの人によってもたらされるチャンスを自分の好き勝手にコントロールできるはずがありません。

「今でなくてもいいかな。」

「まだ自分には早いからいいや。」

「次の機会にしよ。」

こんなことを思ったばかりに、僕は窮地に追い込まれています。後悔しています。

ちょっとでも気になった時に。すこしでも将来の危険性を感じ取った時に。すぐにでもとりかかるべきでした。「思い立った吉日」とはよくできた言葉です。

「あの時にしておけばよかった。」あとから後悔するほどつらいことははありませんよね。

だから僕は決めました。「今でなくてもいいかな。」と思ってしまった時は、その選択が将来の自分にどんな影響を与えるのか考えようと。そして、いい影響であればすぐに行動にしようと。

 

ちなみに、僕の尿意はというと、無事に渋滞を切り抜け事なきを得ました。ただ、250mlでは危険だったと思われます。

チャンスの捉え方を深く心に刻み付けた一日となりました。

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